2010年5月31日月曜日

Ararat

ノンフィクション/フィクションの区別にかわり、その文章によって読み手から何か—驚き、当惑、感動、新しい視点など—が引き出されるか否かで線を引くfrictie(=英語のfriction、オランダ語でもふつうは摩擦、軋轢の意味)/non-frictieという概念を提唱しているFrank Westerman(1965 - )。例えばEl Negro en ikでは、学生の頃に偶然目にしたブッシュマンの標本を軸に、ヨーロッパが19世紀からアフリカに対して抱いてきた認識を描き出していました。

Araratとは、トルコ・アルメニア・イラン国境地帯にあるアララト山のこと。旧約聖書にあるノアの箱舟が漂着したと伝えられる火山です。著者は新聞社の旧ソ連特派員を務めていた1999年の秋に取材でアルメニアを訪れ、ミレニアム・バグの問題が世界で騒がれている時に、現地の人々がノアを実在の人物として語ること、子ども向けの聖書で親しんでいた世界が「あそこ」と指を差して説明されることに驚きます。
著者は熱心なプロテスタントの家庭で育ったものの、生物学や地質学への関心が高まるにつれて、信仰に向き合うことをしなくなっていました。かといって、無神論者だというつもりもない。少年時代に信じていた神の位置には、いま何があるのか。宗教と科学をどうとらえるか。そういった疑問を抱えてアララト山登頂を目指す時間と幼い頃の思い出が交錯する、とても個人的な旅の記録。

最終ページまでにすっきりとした答えが示せるようなテーマ設定ではないとはいえ、多少物足りなさが残りました。大人になった著者が(聖書)信仰についてどんな立場をとっているかについて、もう一歩踏み込んでほしかった。そこに触れると別の本になってしまうのかもしれませんが。

Frank Westerman, Ararat, Olympus, 2007. ISBN 978 90 467 0230 7

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