2008年4月21日月曜日

ヒューマニズムの行方:El Negro en ik

1958年のブリュッセル万博から50年だそうです。第2次世界大戦後初めての博覧会で、テーマは「科学文明とヒューマニズム」。2年ほど前にリニューアルオープンしたブリュッセル郊外の観光スポットアトミウムが建てられたのもこのとき。人類史上初の人工衛星スプートニクの模型やル・コルビュジエ設計のフィリップス・パビリオンなど、科学技術の進歩を前面に押し出した展示が話題になりました。

この万博はベルギーのコンゴ併合50年を記念した催しでもあり、コンゴから連れてこられた人々が現地の村を模した囲いの中で展示されていました。もっとも、植民地の原住民と集落の展示はブリュッセルに始まったことではなく、1883年のアムステルダム国際博覧会のあたりから行われていたそうですが。

当時の映像をまとめた中で、木の柵の向こうに群がる見物人からバナナか何かをもらう小さな女の子の姿がありました。で考えたのがこの本のこと。

1983年。19歳の学生Frank Westermanは、スペインをヒッチハイク中。 偶然立ち寄ったカタルーニャ州バニョレスの博物館で「それ」を初めて目にします。腰蓑をつけ、槍を持ったブッシュマンの標本。開発援助の仕事を志す青年にとっては衝撃的な体験でした。

El Negroと呼ばれていた「それ」は、一体誰か。どのようにしてこの街にたどりついたのか。ジャーナリストとなった著者は、El Negroの謎を探り始めます。最初の確実な証拠は1831年。この年にアフリカからパリに送られ、1888年にはバルセロナの収集家が引き取ったこと、その後この収集家の名前を冠したバニョレスの博物館に移されたことは突き止めました。足取りをたどる中で、探検家たちが埋葬されていた遺体を「入手」したことも分かりました。そうまでするには、当時どのような事情が、さらには思想があったのか。

著者は実際に開発援助に携わり、現場で植民地主義や人種差別というテーマを考え続けていました。El Negroをめぐる旅とあわせて、理想と情熱が幻滅に変わった著者の実体験も語られていきます。

El Negroの「死後の生」は、遺骨がアフリカに返還された2000年に区切りがつきます。用意された安住の地は、1830年にはまだ存在しなかった国ボツワナ。著者はEl Negroは現在の南アフリカの出身であると考え、調査を続けます。こうして、El Negroの足跡を追いかける旅は、アパルトヘイトを経た社会で終息を迎えるのですが、同時に人種や文化のとらえ方に対する現代の問題を突きつけてもいます。

Frank Westerman - El Negro en ik, Olympus, ISBN13 978 90 467 00583

2008年4月17日木曜日

ブロックハウス百科事典、完全オンライン化

ドイツの事典といえば...のBrockhaus Enzyklopädie(ブロックハウス百科事典)がオンラインで公開されます。しかも検索は無料。

この事典、2005年に30巻、希望小売価格2700ユーロというセットが出て以来、改訂版は出ていませんが、今後は印刷物のかたちではなく、オンラインのみでいくという決断。
た しかに、調べものはとりあえずインターネットにあたるのが普通になった今、紙の、しかも何十巻にもなる事典は売れないだろうと思います。それにしても無 料というのはすごい。ウィキペディアなどに対抗するという意味合いもあるのでしょうが、専門家のプライドもかかっているはず。

昨年末にはオンライン版のブロックハウスとドイツ語版ウィキペディアを比較して、ウィキペディアの方が優れているとする調査結果が発表されたり(ウィキペディアのプレスリリース)、老舗出版社としては歯がゆい思いをしていたに違いありません。

2008年4月9日水曜日

どこにどういるか:Meneer Toto - Tolk

今年のBoekenweekで配布された書き下ろし小冊子の著者、J. Bernlef。
これは手触りのいい青い紙の装丁にひかれて買ったのでした。ふつうの本よりふた回りほど小さく、1編1、2ページ、全体で60ページそこそこの本当に短い作品。

Meneer Toto(Toto氏)は語学の天才。122の言語を操り、通訳("tolk")として活躍しているが、その才能のゆえに、目にしたもの、耳でとらえたものを別の言語に置き換えてみることをやめられない。結果、少しずつ自身の存在を感じなくなっていく。休職、そして病院に収容されたToto氏が望むのは、ものに名前がない —言語が不在の— 世界。感覚でとらえたものを移し換える必要のない、静かな空間。数カ月後、氏は自分の名前すら分からなくなってしまう。

以前は数日間続く通訳の仕事をすると、ひとりになった時に自分の意識が遠くに行ってしまっているように感じることがありました。テレビを眺めていて、英語のニュースが日本語に聞こえたり。頭の中はまだ仕事モードのままで、外から入ってくる音のまとまりに勝手に反応している感覚。わずらわしいと思うのにストップできない状態。

通訳とは誰かのメッセージを伝えること。言葉は自分で選びますが、自分の意見はどこかにしまって、他人の「あれ」や「これ」を行き来させる仕事です。Toto氏はいくつもの「あれ」「これ」に深く分け入る力があったがために、自身の存在に対する希薄感を抱えるようになったと読みました。氏のような特別な能力はないにしても、自分のあれこれを顧みる時間と気持ちの余裕は大切にしないとという思いもあわせて。

J. Bernlef, Meneer Toto - tolk, Em. Querido's Uitgeverij, ISBN 90 214 5243 X