1986年8月21日夜、アフリカ・カメルーン北西部に位置するニオス湖で何かが爆発するような音が響いた。翌朝、周辺の村落の住民およそ1800人と、その何倍もの数の家畜や動物が窒息死しているのが見つかる。家屋や植物に一切被害はなかった。山奥の谷でいったい何が起きたのか。湖底火山の噴火、二酸化炭素の噴出、中性子爆弾の実験、あるいは天罰・神の仕業——さまざまな説が飛び交う。
これら説明の物語はどのようにして生まれたのか。「事実が少なければ少ないほど、物語はふくらむ」と著者は考える。しかも誕生した物語(著者はこれを「mythe(=英語のmyth)」と呼ぶ)は進化し、おおもとにあった(はずの)事実の描写が伝言ゲームのように変容してひとり歩きを始め、ときには事実を退けるまでになる。
まず登場するのは火山学者たち。科学者の仕事として期待されるのは、事実に基づき原因を究明し、作り話が入り込む余地をなくすことのはずだ。ところが、彼らが唱える説のもとになっている「事実」はいかにも頼りない。地元民の話す英語は調査に入った専門家のそれとはまったく違い、例えば「smell」がにおいと味の両方を意味したり、色の名称が少ない——赤・青・黄の原色はどれも「red」で、黄色は「red like a banana」と表現される——ことが明らかになったりするのだが、そのような状況で行われた聞き取り調査の結果が根拠として示される。一方、難を逃れた地元民を保護した宣教師たちがアフリカの地にもたらしたキリスト教の物語にも、動かしようのない事実のすき間を埋める方法が用意されていた。あるいは、旧イギリス領カメルーンの人々に根強い、これは自然災害ではないとする主張。政治的な力を握っているフランス語話者が、英語話者の住む地域を壊滅させようと爆弾を使ったというのだ。この考えには、1990年に旧イギリス領側だけで14~30歳の女性を対象に実施されたワクチン接種キャンペーンが絡む。計画に反対し、ボイコットを呼びかけたカトリック神父は謎の死を遂げる。後にこれはホルモン製剤の注射で、打つと不妊になるものだったことがわかり、英語話者の人口を減じる目的だったと受け止められている(実際には避妊効果が2年ほど持続するピルで、妊娠して学校をやめることがないようにするためだった)。
著者は物語の殺し手(科学者)・運び手(宣教師)・作り手(地元民)という3つの分類を示し、それぞれの立場から見えるものの違いを浮き彫りにする。どの立場にも現象を説明するロジックがあり、事実と作り話の区別は一通りではない。本当のことと本当らしいこと、それに空想の産物が混じり合った混沌を解きほぐし、それぞれの物語にある芯をすくい上げようとする試み。その記録によって著者自身の物語が紡がれていく。自分の体験から現実を描くスタイルで知られる著者が、通常この3つの役割をひとりでこなしていることは明らかだ。資料を綿密に検証し、史実に物語としての枠組みを与え、その物語のなかで背景事情を探る——それが彼の語りの手法であり、手腕なのだろう。
Frank Westerman, Stikvallei, De Bezige Bij, 2013, ISBN 978 90 234 7865 2.
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