アムステルダムにあるアンネ・フランク・ハウスを管理しているAnne Frank Stichting(アンネ・フランク財団)と、スイス・バーゼルにあるAnne Frank Fonds(アンネ・フランク基金)。資料の展示や記念TVドラマの制作をめぐってぎくしゃくしているというのはこれまでもニュースになっていましたが、また新たなもめごとが表面化しました。今度は『アンネの日記』の著作権について。
アンネは1945年に強制収容所で亡くなっており、死後70年が経過する2016年1月から、『アンネの日記』は著作権フリーとなる……と思われていたのですが、「基金」側がアンネの父オットーが共著者であると主張。オットーが亡くなったのは1980年なので、そこから50〜70年となると、2030年、あるいは2050年と、ずいぶん先の話になります。
バーゼルのアンネ・フランク基金は、1963年にオットーが設立。『アンネの日記』の著作権を管理しています。一方、アムステルダムのアンネ・フランク財団は、もともとは隠れ家の建物(現在のアンネ・フランク・ハウス)の解体を阻止する目的で、1957年にこちらもオットーが設立したのでした。
「財団」はあくまでアンネが唯一の著者という立場ですが、『日記』普及版を整理して1947年に発表したのはオットーであるという事実は否定していません。Volkskrant紙の記事には、共著者であるか否かが裁判で争われることになったとしても、アンネが書いた日記の文章に共著者の存在が認められるとは思えない、というアムステルダム大学の研究者の発言が引用されています。ただし、1986年に初めて発表された部分[オランダ戦争資料研究所(NIOD)が編纂した版を指していると思われます]については、1995年以前の著作権法の経過措置として「公表後50年」の保護期間が適用される可能性があるとのこと。
「財団」では新版に向けた調査研究を進めているそうですが、これで刊行の見通しが立たなくなってしまった模様。オットー・フランクが共著者であり、オランダ(EU)での著作権保護期間は2050年までという「基金」の見解には反対を表明したものの、どう解決に持ち込むつもりなのか。これまでの経緯もあってなんとも複雑です。
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