ディエゴ・マラーニのNieuwe Finse Grammatica(新しいフィンランド語文法)を読み終えました。イタリア語の原著Nuova grammatica finlandeseは2000年の出版ですが、オランダ語版の刊行は2013年の夏で、意外なことにこれが初のオランダ語訳。
イタリア・トリエステ、1943年9月。埠頭で頭に重傷を負った男が発見され、停泊中のドイツ軍艦に運び込まれる。昏睡状態から目覚めた男は記憶と言語能力を失っていた。担当医師は、コートに縫い付けられていたラベルの名前から男をフィンランド人の船員だと判断し、自身の母国語でもあるフィンランド語を教え、故国への送還を手配。ヘルシンキに到着した男は、あるはずの居場所を求めて街をさまようが、過去への手がかりは見つけられない。
男は本当にフィンランドの出身なのか? 日々フィンランド語と格闘するなかで、男はものごとを感じ、理解する方法も身につけていく。それは取りも直さず、体験を記憶としてゼロから—フィンランド語で—積み重ねていくことだった。しかしそれ以前の記憶、つまり男の過去は、フィンランド(語)で蓄えられていたのだろうか? 対ソ戦のさなかのヘルシンキで、男は自分の頭の中にある空虚との戦いを続ける…フィンランド語には欠格という格があり、「〜なしで」という意味を表すそうです。フィンランド語でいちばん好きな点(単語や文)はと尋ねられた主人公は、この欠格だと答えます。
「そう、ないものを表す格変化……まったく美しい、まるで詩ですね。しかも便利ときている。ふつう人間は持っていないものの方が多いですから」
何かが欠けている状態を名詞の格変化で表せる言語。現実のとらえ方は言語によって異なり、そこに経験が重なって言葉の使い手としての個人ができていくと思うのですが、主人公が新たに身につけようとしたフィンランド語が、ある名詞を思い浮かべるたびに、それがない可能性を考える構造が用意されている言語だったというところがかなしい。記憶、家族、対話、希望… もう少しで手に入りそうに思えたものも結局つかみきれず、すべてが雪景色の静寂のなかに帰っていく物語。
Diego Marani, Nieuwe Finse grammatica, vertaling(翻訳): Annette de Koning, Uitgeverij Van Gennep, ISBN 9789461641632
『通訳』(橋本勝雄 訳、東京創元社、2007年)について書いた記事はこちら。
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