オランダ国立図書館(De Koninklijke Bibliotheek、KB)の新聞記事保存プロジェクト、実際に紙面をスキャンする仕事がいよいよ始まります。全国紙、地方紙、植民地で発行された新聞や自治体単位の(無料)情報紙など、7,000のタイトルから選ばれた記事は合計800万ページ。月20万ページのペースで進めても、3年以上かかる計算。いちばん古い記事は、オランダで初めて新聞が発行された1618年のものだそうです。
デジタル化された記事は新聞データベースから検索できるようになります。現在でもKBのカタログから新聞の検索は可能ですが、これが拡大・統合されるのでしょう。2009年初めには一部が公開されるとのこと。
国立図書館プレスリリース(オランダ語)
2008年5月26日月曜日
DS と Wii でオランダ語
パッケージを見ただけですが、画面上の指示もすべてオランダ語でした。なのである程度読めないと、それなりに楽しく進めるのは難しいかと。ゲームに慣れていれば感覚的に分かって遊べるのかもしれませんが、そういう人とオランダ語学習者層はなかなか重ならないでしょう。考えられるのは、ベルギーや北フランスの学校でオランダ語を習う子どもたち。ターゲットとしては狭すぎか。ますます謎です。
2008年5月20日火曜日
気になる一面広告
雲がわき上がる空を背景にそびえる自由の女神像。「?」を感じて見直すと、女神が鼻をつまんでいます。
全国紙de Volkskrantに掲載されていた一面広告。Art Directors Club Nederlandという団体が新聞社と共同で行っているキャンペーンで、地球温暖化をテーマにしたシリーズだとのこと。今回の「自由の女神」を含め、これまでの広告はここで見られます。下の方には以前のシリーズの紹介も。
タイトルとひっかけていたり、読まないとわからないもの(=オランダ語がわかる人が対象)もあって、それはそれでひとつのスタイルだと思いますが、この自由の女神像は写真だけ。隅に入っている短い文章は読まなくても、ちゃんとメッセージは伝わる。言葉を介さなくても通じるというのは強いです。
全国紙de Volkskrantに掲載されていた一面広告。Art Directors Club Nederlandという団体が新聞社と共同で行っているキャンペーンで、地球温暖化をテーマにしたシリーズだとのこと。今回の「自由の女神」を含め、これまでの広告はここで見られます。下の方には以前のシリーズの紹介も。
タイトルとひっかけていたり、読まないとわからないもの(=オランダ語がわかる人が対象)もあって、それはそれでひとつのスタイルだと思いますが、この自由の女神像は写真だけ。隅に入っている短い文章は読まなくても、ちゃんとメッセージは伝わる。言葉を介さなくても通じるというのは強いです。
2008年5月14日水曜日
Libris Literatuurprijs 2008 受賞作発表
Libris Literatuurprijs 2008、受賞作はD. HooijerのSleur is een roofdierに決まりました。20年以上の歴史がある賞ですが、短編集としては初、女性作家の受賞は今回で2度目。
この作品、ほかの候補作とは違い、ショートリストに載るまでは知らなかった人がほとんどでした。それがいきなりの受賞となったので、書店では現在どこも品切れ状態になっているそうです。
作者がベルギーのラジオで短いインタビューに答えているのを偶然聞きました。おしゃべり好きのおばさん、といった感じの声で、調べてみたら1939年生まれ。もともとは詩を書いていて、作家デビューは2001年。受賞作は3作目(すべて短編集)で、今は長編小説に取り組んでいるとか。「賞金5万ユーロ(約800万円)は何に使いますか?」という質問に、「キッチンを新調するか、屋根を修理しようと思ってます」と、聞き手が笑ってしまう答えを返していました。でもこれ、とてもオランダのおばさんらしい返事ではあります。受賞作は、本人いわく「元気な時に読んでも、かなり重い話」。そのうち見かけたら手に取ってみましょう。
この作品、ほかの候補作とは違い、ショートリストに載るまでは知らなかった人がほとんどでした。それがいきなりの受賞となったので、書店では現在どこも品切れ状態になっているそうです。
作者がベルギーのラジオで短いインタビューに答えているのを偶然聞きました。おしゃべり好きのおばさん、といった感じの声で、調べてみたら1939年生まれ。もともとは詩を書いていて、作家デビューは2001年。受賞作は3作目(すべて短編集)で、今は長編小説に取り組んでいるとか。「賞金5万ユーロ(約800万円)は何に使いますか?」という質問に、「キッチンを新調するか、屋根を修理しようと思ってます」と、聞き手が笑ってしまう答えを返していました。でもこれ、とてもオランダのおばさんらしい返事ではあります。受賞作は、本人いわく「元気な時に読んでも、かなり重い話」。そのうち見かけたら手に取ってみましょう。
2008年5月1日木曜日
アンネの伝記、「読みやすい」シリーズに
先週発表されたアンネ・フランクの伝記(Anne Frank, haar leven)は、この問題を抱える人たち向けに工夫されたもの。文を短くして章立ても整理、写真を多用しているとのこと。『アンネの日記』はこれまでに60カ国語以上に翻訳され、多数の関連書がありますが、こういった本は初めて。
出版を企画した支援団体Stichting Lezen & Schrijvenでは、他にもベストセラーをわかりやすいオランダ語に「翻訳」し、普及を図っています。
Marian Hoefnagel, Anne Frank, haar leven, Eenvoudig Communiceren B.V., ISBN-13: 9789086960392
「読みやすい」シリーズ"Leeslicht"のサイト
2008年4月21日月曜日
ヒューマニズムの行方:El Negro en ik
1958年のブリュッセル万博から50年だそうです。第2次世界大戦後初めての博覧会で、テーマは「科学文明とヒューマニズム」。2年ほど前にリニューアルオープンしたブリュッセル郊外の観光スポットアトミウムが建てられたのもこのとき。人類史上初の人工衛星スプートニクの模型やル・コルビュジエ設計のフィリップス・パビリオンなど、科学技術の進歩を前面に押し出した展示が話題になりました。
この万博はベルギーのコンゴ併合50年を記念した催しでもあり、コンゴから連れてこられた人々が現地の村を模した囲いの中で展示されていました。もっとも、植民地の原住民と集落の展示はブリュッセルに始まったことではなく、1883年のアムステルダム国際博覧会のあたりから行われていたそうですが。
当時の映像をまとめた中で、木の柵の向こうに群がる見物人からバナナか何かをもらう小さな女の子の姿がありました。で考えたのがこの本のこと。
1983年。19歳の学生Frank Westermanは、スペインをヒッチハイク中。 偶然立ち寄ったカタルーニャ州バニョレスの博物館で「それ」を初めて目にします。腰蓑をつけ、槍を持ったブッシュマンの標本。開発援助の仕事を志す青年にとっては衝撃的な体験でした。
El Negroと呼ばれていた「それ」は、一体誰か。どのようにしてこの街にたどりついたのか。ジャーナリストとなった著者は、El Negroの謎を探り始めます。最初の確実な証拠は1831年。この年にアフリカからパリに送られ、1888年にはバルセロナの収集家が引き取ったこと、その後この収集家の名前を冠したバニョレスの博物館に移されたことは突き止めました。足取りをたどる中で、探検家たちが埋葬されていた遺体を「入手」したことも分かりました。そうまでするには、当時どのような事情が、さらには思想があったのか。
著者は実際に開発援助に携わり、現場で植民地主義や人種差別というテーマを考え続けていました。El Negroをめぐる旅とあわせて、理想と情熱が幻滅に変わった著者の実体験も語られていきます。
El Negroの「死後の生」は、遺骨がアフリカに返還された2000年に区切りがつきます。用意された安住の地は、1830年にはまだ存在しなかった国ボツワナ。著者はEl Negroは現在の南アフリカの出身であると考え、調査を続けます。こうして、El Negroの足跡を追いかける旅は、アパルトヘイトを経た社会で終息を迎えるのですが、同時に人種や文化のとらえ方に対する現代の問題を突きつけてもいます。
Frank Westerman - El Negro en ik, Olympus, ISBN13 978 90 467 00583
この万博はベルギーのコンゴ併合50年を記念した催しでもあり、コンゴから連れてこられた人々が現地の村を模した囲いの中で展示されていました。もっとも、植民地の原住民と集落の展示はブリュッセルに始まったことではなく、1883年のアムステルダム国際博覧会のあたりから行われていたそうですが。
当時の映像をまとめた中で、木の柵の向こうに群がる見物人からバナナか何かをもらう小さな女の子の姿がありました。で考えたのがこの本のこと。
1983年。19歳の学生Frank Westermanは、スペインをヒッチハイク中。 偶然立ち寄ったカタルーニャ州バニョレスの博物館で「それ」を初めて目にします。腰蓑をつけ、槍を持ったブッシュマンの標本。開発援助の仕事を志す青年にとっては衝撃的な体験でした。
El Negroと呼ばれていた「それ」は、一体誰か。どのようにしてこの街にたどりついたのか。ジャーナリストとなった著者は、El Negroの謎を探り始めます。最初の確実な証拠は1831年。この年にアフリカからパリに送られ、1888年にはバルセロナの収集家が引き取ったこと、その後この収集家の名前を冠したバニョレスの博物館に移されたことは突き止めました。足取りをたどる中で、探検家たちが埋葬されていた遺体を「入手」したことも分かりました。そうまでするには、当時どのような事情が、さらには思想があったのか。
著者は実際に開発援助に携わり、現場で植民地主義や人種差別というテーマを考え続けていました。El Negroをめぐる旅とあわせて、理想と情熱が幻滅に変わった著者の実体験も語られていきます。
El Negroの「死後の生」は、遺骨がアフリカに返還された2000年に区切りがつきます。用意された安住の地は、1830年にはまだ存在しなかった国ボツワナ。著者はEl Negroは現在の南アフリカの出身であると考え、調査を続けます。こうして、El Negroの足跡を追いかける旅は、アパルトヘイトを経た社会で終息を迎えるのですが、同時に人種や文化のとらえ方に対する現代の問題を突きつけてもいます。
Frank Westerman - El Negro en ik, Olympus, ISBN13 978 90 467 00583
2008年4月17日木曜日
ブロックハウス百科事典、完全オンライン化
この事典、2005年に30巻、希望小売価格2700ユーロというセットが出て以来、改訂版は出ていませんが、今後は印刷物のかたちではなく、オンラインのみでいくという決断。
た しかに、調べものはとりあえずインターネットにあたるのが普通になった今、紙の、しかも何十巻にもなる事典は売れないだろうと思います。それにしても無 料というのはすごい。ウィキペディアなどに対抗するという意味合いもあるのでしょうが、専門家のプライドもかかっているはず。
昨年末にはオンライン版のブロックハウスとドイツ語版ウィキペディアを比較して、ウィキペディアの方が優れているとする調査結果が発表されたり(ウィキペディアのプレスリリース)、老舗出版社としては歯がゆい思いをしていたに違いありません。
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