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2019年1月7日月曜日

2019年


あけましておめでとうございます

やりたいこと と やるべきこと
楽しんで向き合う

2018年1月11日木曜日

2018年


あけましておめでとうございます。


かけら に向き合う。


2017年1月5日木曜日

2017年



あけましておめでとうございます。

かしこくたのしく。



2016年1月6日水曜日

2016年



あけましておめでとうございます。


できること を したいこと に近づける。


2015年12月24日木曜日

Prettige feestdagen


今年最大の山を越えて、ひと息つけるかと思っていたけれど、そうでもなさそうな。
それでも、久しぶりの人とゆっくり話したり、静かに考えることも含めて、時間の流れが少し変わる時期。がんばれたことに感謝。


2015年5月11日月曜日

言う嘘と言わない嘘


ドイツ映画 "Im Labyrinth des Schweigens"(Giulio Ricciarelli 監督、2014年)を観ました。Schweigenは「押し黙る・漏らさない」という意味なので、タイトルをそのまま訳せば「沈黙の迷路で」となるでしょうか。ちなみに英語のタイトルは "Labyrinth of Lies"。

1950年代末の経済復興に湧くドイツ・フランクフルトで、アウシュヴィッツ関係者起訴に向けて証言・証拠を追求する若手検察官の奮闘——。第二次世界大戦が終わって10数年、戦争犯罪に対する審判であったニュルンベルク裁判からも10年。世間の意識は明らかに戦争から離れていました。また、収容所の実際についてはこの頃ほとんど知られていなかったようです。 

検察に事件を持ち込んで追い払われた新聞記者を主人公があらためて訪ねる場面が印象的でした。裁判所だと思われる場所で、この記者は周囲の人間に声をかけます。
「アウシュヴィッツって聞いたことある?」
「アウシュヴィッツ、ご存じですよね?」
若い人の答えはNO、年齢がいっている人は微妙な表情で「いや…」とかわす。

主人公は、膨大な書類を整理する一方、思い出したくない記憶を抱えたホロコースト生還者を説得し、その体験を証言として残す作業を始めます。しかし、政財界や司法界にはナチ党員の過去を隠して成功した有力者のネットワークがあり、捜査は難航。挫折を味わいながらも、フリッツ・バウアー首席検事(実在の人物)をはじめとする周囲の支えを得て、収容所の実行犯の訴追を実現します。それがフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判(1963〜65年)。映画は裁判が開廷するところで終わります。

アウシュヴィッツ裁判は、収容所で実際に手を下した者をドイツ人が自ら初めて裁き、ドイツ社会の過去との向き合い方を変えたといわれる裁判です。そこに至るまでに必要だった、山のような記録と証人の記憶をつなぎ合わせ、浮かび上がった事実をドイツの法律に照らして検討する時間。正義感や使命感を振りかざすのをやめたときに見えてくるもの。正味2時間、長いとは感じませんでしたが、終わったあとにはずっしりくるものがあって、しばらく黙りこくっていました。


2015年1月6日火曜日

2015年


あけましておめでとうございます。

楽しくするやり方を考える。
楽になる方法を工夫する。

2014年12月15日月曜日

ラップと吃音



今年オランダで大ブレイクしたTyphoon(1984 - )というラッパーのインタビューを観はじめてすぐ気がついたこと。彼、吃音があるのです。聞き手がまたTheo Maassenというコメディアンで、「ときどき出るみたいだけど、それって昔から?」とさらっと質問。子どもの時からで、矯正(という言い方が適切かどうかはさておき)も長い間受けていた、いまは緊張したり、疲れたりするとひどくなるかな、という返事。満面の笑顔でステージを飛び跳ねて言葉を繰り出す人とは結びつきませんが。

何かを言おうとするときは、単語を1つだけ思い浮かべるのではなくて、5つくらい表現を用意しておく。最初の言葉でつまってしまったときに別の言い方にスイッチできるように、とも話していましたが、いつもそうならこれだけでかなりエネルギーを消耗すること。でもそれは同時に「どう伝えるか・どう伝わるか」の実験でもあるわけで、そうやってたくさん考える先に彼のラップがあるのかもしれません。

質問を真面目に受け止めて、穏やかに楽しそうに答えているのが印象的でした。

2014年12月3日水曜日

うれしい楽しみ


先週後半、細かいことは[31日の月曜日]に片付けてしまおうと思ってました。土曜の夜、「(お孫さんに)アドヴェントのカレンダー今日あげたのよ、月曜日からだしね」と知り合いが言うのを聞いて、あれ?11月は30日までだった!と。締め切りがあったとかではなかったので、自分があたふたするだけですみましたが。というか、約束があれば思い違いに気がついたはず…

ちょっと守備範囲を超えている気がしたものの、納期に余裕をいただけてお引き受けした翻訳、「お願いしてよかったと思っています」とのことで一安心。始めてみたら通訳の仕事で勉強したことがたくさん出てきて、最初考えていたよりはスムーズに進みました。こういうつながる感触はじんわりうれしい。「これってあのこと?」から道が開けると、誰かから力をもらったような気になります。仕事はひとりでは回らないけれど、作業自体はひとりなので、小さな楽しみは大切。

こちらのクリスマスの慌ただしさと日本の年末のお休みを考えると、残すところあと3週間。時間の流れに巻き込まれすぎず、気持ちよく乗り切りたい……と思うのも毎年今頃。


2014年1月6日月曜日

2014年

あけましておめでとうございます。

楽しいことを楽しむ。
呼んでくれる本を読む。
そしてなにより、元気でいる。


オランダは例年にない暖かさ。
この国で日々の気温が記録されるようになったのは1901年だそうですが、今日は観測史上最も暖かい1月6日となるとか。平均気温5度前後、雪が積もっていてもおかしくない時期。なのに日差しも柔らかく、お昼すぎの時点で13度を超えています。






2013年11月30日土曜日

You are just a waiter

BBC Newsのサイトで、フィンランド出身の指揮者エサ=ペッカ・サロネンの記事を見かけました。ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団(The Philharmonia Orchestra)の首席指揮者で、作曲家でもあります。

"Esa-Pekka Salonen: 10 tips to becoming a conductor"
  By Alison Feeney-Hart
  30 November 2013

「指揮者になるための10のTips」、インタビューを元に構成した文章でさらっと読めたのですが、その中になんというか、ぐっときた項目がひとつ。
4. Accept that you are just a waiter 
The composer is the chef and conductors are the waiters. Both are totally honourable professions but we have to accept that if I conduct a piece by Beethoven, I'm just a waiter. I might be head waiter, but waiter none the less and I am there to make sure the food comes to the table on time and intact.
キッチンから出てくるものをきちんと届ける仕事。訳することも同じ。いつもおいしいものとは限らないにしろ、そのまま味わってもらえるように工夫を続けるのです。

2013年8月20日火曜日

Harmonic Fields




Harmonic Fieldsという展示に行ってきました。
かつて炭鉱があり、いまは公園というか原っぱが広がっている場所に、いろんな楽器がたくさん「植えられて」いました。
風が通り抜けると、あちこちから音が聞こえます。どれも楽器から生まれる音。

音楽=楽器+演奏家
楽器を奏でるのは人だという思い込みはちょっと脇に置いて、耳をすませる。

弦楽器は弦が風で振動して
管楽器は管に風が入ることで 音が出る。
吹く風の向きと強さに応じて、同時に聞こえる音も変わります。

演奏者は不在でも、これは合奏。自然の風が紡ぐ音でした。

2013年1月2日水曜日

2013年

あけましておめでとうございます。

伝わるように伝えられるように。
知らないことも楽しめるように。

2012年9月17日月曜日

卒業試験を聞いた

ドイツ語の夏期講習を終えて、その後どうしてものことを片付け、駆け込みで夏休みを取ってオランダに戻ってきたらすっかり秋になっていました。朝晩の気温はすでに1桁。涼しいを通りこして寒い。

まだ薄着で歩いていられた8月末の話ですが、知り合いの大学院修了試験に行ってきました。修論の代わりになるプロジェクトに関するプレゼンテーションと質疑応答、そのあと本人と指導教授陣が別室で15分ほど話し、戻ってきて修了試験の合否と成績を発表するというスタイル。専攻によって、大学によっていろんなやり方があるようですが、彼は建築工学とデザインのダブルメジャーで、テーマは歴史的モニュメント。具体的な場所や機能も含めた設置の提案でした。構造設計・計算はまだこれから(笑)ということで、コンセプトの説明が中心の発表だったのが助かった。ちゃんと話についていくことができました。

小さなホールに、家族や友人、ゼミ仲間の学生さんたち含めて50人くらいはいたでしょうか。指導教授が会場からも質問を、とやわらかく促す。これがふつうなのかどうかはわかりませんが、学生からの(多少お約束的な)質問のほかに、専門外の人が出したコンセプトの成り立ちについての問いに聴衆の1人が補足説明を加えたり、なかなかおもしろかった。その後の別室での討議も無事に済んで、試験合格、成績は9と発表され大拍手。9は日本だと優(A)の上、秀とかA+という評価。おめでとう、おつかれさま、に、すごいね、が加わったのでした。

学生時代の特権と言ってしまえばそれまでだけど、ひとつのことにじっくり向き合って、自分の答えを探すおもしろさ。ストレートに伝わってきました。誘ってもらえてうれしかったし、行ってよかったです。

2012年8月2日木曜日

ドイツ語夏期講習

夏期講習というと受験生みたいですが、7月半ばからドイツ語の夏休み講座に参加しています。先生は言語学を専攻している元気な若い女性。お母さんは韓国の方だそうで、本人曰く「見かけはアジア人だけど頭はドイツ製」。「ドイツ的」を説明するわりと辛口の視点がおもしろい。この1年続けてきたクラスとはまったく違うリラックスした雰囲気で進んでいます。これは、結局7〜8人とお互いの顔が見えるグループになったことも大きい。本当なら今週で終わりのはずが、来週もおまけで授業をしてくれることになりました。せっかくなので行けるよう調整。

ドイツ語は、翻訳はしているものの、自分で話すためのことばを持ってないと思っていました。でも、楽しい刺激でおしゃべり用の引き出しができてきたような気がしています。この芽みたいなものの感触をどうやって維持していくかが次の課題。

2012年3月2日金曜日

Met alle respect:誰かへの思いやり

オランダの中堅実力派コメディアン、テオ・マーセン(Theo Maassen)のショウに行ってきました。役者としても活躍していて、一見ふつうながら実はおかしいところのある人を演じるとすごくはまる。ずっと隠してきた怒りが制御できなくなるとか、必死の状況のなかでふくらんでいく狂気とか。

オランダ語でcabaretと呼ばれる演芸はスタンダップコメディと訳されることが多いけど、ちょっと違う。たしかに、小話を矢継ぎ早に繰り出すというパターンもあるし、日本のコントのようなのも人気。でも主流はモノローグ。1時間半くらい、観客を相手に何かを語って聞かせる芸。

今回も、独特の露骨な発言を交えてたくさん笑いを引き出していました。ただし、笑い飛ばすというのではなく、考えのタネをあっちこっちに仕込んでいるような、頭のいい人の舞台。例えば、どきっとさせられたのは次のひとこと。
昔の政治家は夢を描き、どうすればそれが実現できるかを語った。いまの政治家は悪夢のシナリオを示して、それが現実にならないために何をすべきかを説明している。
外国のドキュメンタリーで観たと前置きしていたけれど、これを(乾いた)笑いが生まれるように引くのがうまさなのでしょう。

ショウのタイトルは"Met alle respect"。英語の"with all (due) respect"と同じで、相手の意見に反対するときに使う「失礼ながら/お言葉ですが」というフレーズです。舞台でも取り上げられていたように、オランダの社会は外国人・よそ者排斥を堂々と訴える声が強まり、それがなんとなくふつうのことになりつつあります。これをふまえれば、単語レベルの「できるかぎりの配慮を」という意味も込められていると感じました。それでこそ、結末部分の「(家族が、観客が、○○が)ここにいてくれてうれしい」という言葉が生きてくるのではないかと。






2012年1月19日木曜日

オランダ語の字幕

思ってもみなかったつながり方で、オランダ語の字幕翻訳の仕事をのぞかせてもらいました。

きっかけは、字幕翻訳者さんのツイートがRTで回ってきたこと。「日本語のできる人にちょっと聞きたいことが...」というのに「いますぐじゃなければお手伝いできるかも」と連絡してみたところ、メールでのやりとりに発展。

日本映画を英語字幕からオランダ語に訳しているのだけど、ここの意味が通らない。わかる? どうして唐突にこんなセリフが出てくるの? という質問に順番に答えていたら、「ほかにも気になるところがあるし、全体をみてもらえるとうれしい。クライアントにも話を通して、予算もつけてもらったから」と。こんなことってあるんだ...と思いながら、やらせてください、とお返事しました。

で、英語の字幕がついた映像ファイル、それからオランダ語の翻訳はワードで到着。SSTなんて持ってないので、要確認のところは字幕の番号じゃなくてタイムコードでリストアップしてもらって、なんとか私なりに作業できる状態に。

字幕の翻訳は、ちゃんとしたかたちではやったことがありません。ずいぶん前、プレゼンテーションのビデオやPRの映像に多言語の字幕というか、説明をつけるといった案件が続いたことがありました。そのときに要求されたのは「とにかく見た目の長さを同じに」ということ。いまやツイッターで一目瞭然ですが、日本語は1文字あたりの情報量が多い。で、このときは漢字でコンパクトに表記できることをカタカナにしたり、読みづらくなるのを承知で最終加工をしたのでした。まったく逆方向の作業ですよね。テレビ番組の一部を翻訳したこともありますが、これは字数は関係がなかったし。

文字の情報として何をどこまで出すか、切るか、という判断はいつも難しい。そこに文字数の制限があるとなおさらです。また、この映画は(ベルギーでの公開用に)フランス語でも字幕が入るということで、スペースがさらに限られていました。脚本も何もなしで、数行のあらすじと英語字幕からオランダ語の世界が立ち上がってくるように、簡潔な表現はもちろん、文化的なところも凝縮した1行にする。たいへんな仕事です。私はあれこれ思いつくままに説明を書いていればよかったわけですが、それを汲んで流れるセリフを組み立てる彼女の感覚はすごいと思いました。

公開されたら映画館に行くつもり。楽しみです。


2012年1月3日火曜日

2012年


あけましておめでとうございます。


小さな音に耳をすませよう。





2011年12月14日水曜日

クリスマスカード

9月からほぼ毎週乗っている国境越えの電車、昨日は線路沿いの家が一気にクリスマス仕様になっていました。オランダのものと思われがちな12月5日のシンタクラース、ドイツでも地方によってはお祝いします。それが終わると慌ただしくクリスマスになるのもこの辺り(オランダの南端)と共通。

気がついてみれば12月も半ば。クリスマスカードの準備をする時期です。オランダではクリスマスカードや年賀状に使える専用切手"Decemberzegel"があって、毎年違ったデザインで売り出されます。今年のDecemberzegelは、いつも読んでいる雑誌のチームが手がけるということもあって、楽しみにしていました。去年のもノスタルジックな路線でしたが、今年の方が、やさしくあたたかい雰囲気が伝わる図案。

ちなみに、オランダ語でクリスマスカードに書く文は、
Prettige kerstdagen en een gelukkig nieuwjaar
 = Merry Christmas and a Happy New Year 
がいちばんふつうのパターン。
このkerstdagen(クリスマス)はfeestdagen(祝日)にも交換可能。なので
Prettige feestdagen en een gelukkig nieuwjaar
 = Happy holidays and a Happy New Year 
もよくあります。単語を大文字で始めて
Prettige Kerstdagen en een Gelukkig Nieuwjaar
Prettige Feestdagen en een Gelukkig Nieuwjaar
もあり。ほかには
Zalig Kerstfeest en een Gelukkig Nieuwjaar
 = Blessed Christmas...
というのもありますが、これは主にカトリックの人が使う表現で、ちょっと古いかんじがします。周囲でこの言葉を使う人の年齢が高めということもあるのでしょうが。

メールその他での挨拶も「あり」です。でも数は少ないながら、カードを選んだり文面を考えたり、そして実際に手で書いていくのはなかなか楽しい。ちょっとゆっくり誰かを思う時間です。


2011年8月4日木曜日

ノルウェー連続テロの余波(たぶん1)

7月22日にノルウェーで起きたテロ事件。逮捕された実行犯は日本と韓国を理想として挙げていて、精神鑑定に日本人の専門家を要求していることは日本語のニュースにもなりました。こちらで分析記事が出るのはもう少し先でしょうが(なによりオランダのメディアは夏休み中)、ウィルダース・PVV党首の言動との関連付けはともかく、その批判に偏らない論説を出す時間があるかは疑問。9月に入って国会が再開すれば、議論が政治的な立場表明に引っぱられることは目に見えています。事件をどう考えるかと問われて肯定・支持するはずがないのに。

先週土曜日のde Volkskrantには、オランダでもファンが多いノルウェーのミステリ作家Jo Nesbøが書いた文章の翻訳が掲載されていました。「ノルウェーはもう無垢ではない」というタイトルで、何も変わらない・何も起こらない社会だという共通の感覚(=思い込み)は事件があった日を境に変わってしまったと述べられています。

[...いつも普通にあるものだと思っていた安心感や信頼は大きく揺らいだ。後戻りはできない。追悼集会には、冷静沈着を旨とする国民性からは意外なほど大勢の市民が参加した。これは、わたしたちが受け継いできた価値観を奪う者を許さないという意思、恐怖心には屈しないという決意の表れだ。ノルウェー人はこれから、 当たり前のものなどないということを毎年思い返すだろう。...]

Nesbøは作家として成功し、文中のエピソードによれば現首相とサイクリングに出かけるような友人関係でもあるらしく、そういう背景を考える必要はあるでしょう。それでも、お互いにルールを守っているから大丈夫、怖がる必要はないという常識が崩れたことに対する静かな憤りが伝わる文章でした。

ちなみにこの寄稿文、ニューヨーク・タイムズにも掲載されたのですが、まずタイトルが違います(The New York Times: The Past Is a Foreign Country)。またウェブ上で読む限り、ヨーロッパに関わる文脈が削られてかなり短くなっていました。結びの段落を引用。
So if there is no road back to how things used to be, to the naive fearlessness of what was untouched, there is a road forward. To be brave. To keep on as before. To turn the other cheek as we ask: "Is that all you've got?" To refuse to let fear change the way we build our society.
今後明らかになるであろう事件の詳細とは別に、その先を見据えた声も現地ではたくさんあるのだと思います。日本の地震のニュースがすっかり消えてしまったオランダの状況と重ね合わせています。